スポーツ

2007-07-10

テニスって素晴らしい

予想した以上、期待した以上に素晴らしい試合だった。おかげで寝不足のまま、仕事に向かう羽目になったけれど。

フェデラー5連覇 ナダル惜敗の準優勝◇ウィンブルドン (tennis365.net)

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2006-10-24

回想・今年のプロ野球

今年のプロ野球についての感想あれこれ。

今年は、ファンタジーベースボールのドリームベースボールに参加してみたおかげでちょっと違った楽しみ方ができた。このゲームでは参加時に「ランダムに選手編成された5チーム」の中から1つのチームを選んで、その後のシーズンを戦うことになる。横浜の村田のいるチームを選んだのだが、シーズンが続くうちに横浜以外の選手たちのプレーぶりも気になりだした。

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2006-07-07

実はすごかった? AIGオープン2005

昨年秋にAIGオープンで見た選手たちがウィンブルドンで活躍している、というお話。

どうもサッカー・W杯に目がいってしまって、ウィンブルドンの中継はあまり見ていなかったのだが、男子のドローを確認してちょっとびっくり。ベスト8に残った選手のうち、3人のプレーを昨年10月にAIGジャパンオープンで見ていたのだ。アンチッチ、ステパネク、バグダティスの3人。

実を言うと、昨年のAIGの男子のドローは「レベルが低い」みたいな言われ方をされていた。当初出場が予定されていたサフィン(ロシア)やヘンマン(イギリス)らトップ選手が軒並みキャンセルしたため、「大会ポスターに写真が出ている男子選手が誰も出てない」という状況だったのだ。

それでも、うまく休みがとれたのと「もう何年もテニスを生で観てないから、たまにはいいか」というような気持ちで観に行ったわけだが(その日は男女の準々決勝)。

マリオ・アンチッチ(クロアチア)はマルコス・バグダティス(キプロス)との対戦。アンチッチはウィンブルドンなどでの活躍を知っている選手なので期待大。一方のバグダティスははじめて見る選手だったが、2ちゃんねるで「バグダティスすげー」みたいなコメントが多く、この対戦を観るのを楽しみにしていた。

試合の方は、バグダティスの調子が今ひとつ。プレーぶりよりもサーブの前の独特の球突き(ボールを後方に突いた後で、股抜きで前にボールを持ってくる。これを何気なく速いスピードで「必ず」やるのだ)が印象に残っている。アンチッチがストレート(とは言え、2セット目はタイブレークまでもつれた)で勝ったが、バグダティスも時折はっとするほどいいショットを打つので、なかなか見応えがあった。

(今年に入ってからのバグダティスは全豪オープンで準優勝して注目を浴び、一気にトッププレーヤーの仲間入りをしそうな勢いだ)

さて、もうひとりのラデク・ステパネク(チェコ)はまったく知らない選手だった。南アフリカのムーディと対戦。(今どき珍しい)徹底したネットプレーヤーのムーディに対して、オールラウンダーのステパネクのプレーがかみ合い、これまた観ていて面白い試合だった(結果はタイブレーク2つを制したムーディの勝利)。

それにしても、あの日観た選手が8ヶ月後のウィンブルドンでもこれほど活躍するとは予想できなかったなぁ(アンチッチとステパネクは残念ながら準々決勝で負けてしまったが)。バグダティス、ナダルを破って決勝に進めるだろうか?

(余計な一言)AIGオープン、今年は「フェデラー初来日!」とぶちあげてるけど大丈夫かなぁ?

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2006-06-25

思わず出ちゃった

サッカー・ワールドカップの1次リーグ、各リーグの第3戦(リーグ最後の試合)でいくつかハンドがあった。
コートジボワール対セルビア・モンテネグロ戦でのドゥディッチ(セルビア・モンテネグロ)、ポルトガル対メキシコ戦でのマルケス(メキシコ)、オーストラリア対クロアチア戦でのトマス(クロアチア)。いずれもディフェンダーがペナルティエリア内でハンドを犯し、PKでの失点につながった。

どれも見え見えのハンド。「なんでそんなことを…」と思いたくなるところだが、しかし、どうにも彼らに感情移入してしまう自分がいた。

もう何年も前だけれど、一度だけ見え見えのハンドをやっちゃったことがあるんだよね。草サッカーで。

たしか、その試合ではFWをやっていた。たしか1点か2点リードされている状況(自分もふくめて部活などのサッカー経験のないメンバーが多かったので、いつものことではあった)で、久々のチャンス。左サイドから(フリーキックだったか)クロスが入ってきた。ファーサイドにいた自分のところまでボールが飛んでくる…。

頭が届かないと感じたのは覚えている。次の瞬間には右手で頭の高さのボールをはたいていた。ボールはゴールへは飛ばず、タッチラインを割った(んだったっけ)。

手のあげ方は、マラドーナの「神の手」ゴールみたいな感じ。あんな(ひどい)プレーを自分がしてしまうとは! しかもディフェンダーとそんなに競り合っていたわけでもないので、まわりからも丸見えである。

当然(生涯初の)イエローカードをもらうことになった。それにもまして「なんであんなことをやっちゃったんだ」という当惑と恥ずかしさ。みんなには笑われ、からかわれるし、自分でも説明できない行動に対する内心の混乱があった。

以来、ペナルティエリア内でハンドをしてしまったプレーヤーを見ると、なんだか感情移入してしまうのだ。今回はいずれもディフェンス側のハンドだし、国を代表する一流フットボーラーの心理はまた違ったものなのかもしれないけれど、「やっちゃった」後の当惑と後悔が入り交じった感情の記憶は今も妙に生々しい。

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2006-05-13

勝手に日本代表

サッカーのワールドカップ日本代表の発表が15日にある。 誰がドイツに行くのか、議論がかますびしい。 ファンが考える日本代表23人についての企画がいくつかある。

日刊スポーツ : あなたが選ぶ日本代表23人

WEBサッカーマガジン : あなたが選ぶ日本代表

せっかくなので、私的日本代表を考えてみる。 過去1年間に日本代表に呼ばれた選手から選ぶ。
青文字が仮想先発メンバー)

【GK】
川口 能活 (ジュビロ磐田)
土肥 洋一 (FC東京)
都築 龍太 (浦和レッズ)

第3GKが試合に出ることはまずない。 (コンディションが若干不安な)楢崎よりも若い都築を選んでみる。


【DF】
中澤 佑二 (横浜F・マリノス)
田中 誠 (ジュビロ磐田)
加地 亮 (ガンバ大阪)
三都主 アレサンドロ (浦和レッズ)
宮本 恒靖 (ガンバ大阪)
茂庭 照幸 (FC東京)
駒野 友一 (サンフレッチェ広島)


【MF】
中村 俊輔 (セルティック)
中田 英寿 (ボルトン)
福西 崇史 (ジュビロ磐田)
今野 泰幸 (FC東京)
小笠原 満男 (鹿島アントラーズ)
小野 伸二 (浦和レッズ)
長谷部 誠 (浦和レッズ)
稲本 潤一 (ウェストブロミッチ)

今野は(都築と同様に)実際に選ばれる可能性がほとんどないが、中盤およびサイドでの高いディフェンス能力を買う。 中盤にひとりは“労働者”タイプがほしい。


【FW】
巻 誠一郎 (ジェフユナイテッド千葉)
松井 大輔 (ル・マン)
久保 竜彦 (横浜F・マリノス)
大黒 将志 (グルノーブル)
柳沢 敦 (鹿島アントラーズ)

久保のポテンシャルには異論がないが、コンディションを考慮すると先発よりは後半からの起用の方が効果的かもしれない。松井はウィング/セカンドストライカー的な位置づけで。


==
真剣に考え出すと、難しい。 いいときのパフォーマンスが期待できるならと稲本を選んだけれど今なら阿部の方がいいかな、とか、ここ最近のプレーぶりから高原を外したけれど内心は復調を願いたい…、とか。

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2006-05-10

回想・石井琢朗 (2)

今日の2安打で、2000本安打に王手をかけた石井琢朗。 昨日の記事に続いて、回想してみる。

【権藤監督時代】
いよいよ選手としても、チームとしてもピークを迎えた時期。
マシンガン打線の不動のリードオフとして活躍。 2番バッターに(堅実というよりは奔放なタイプの)波留を置いたのが、権藤監督ならではの妙味だったように思う。 2番バッターだがあまりバントはせず、ときに琢朗の盗塁を助け、ときに強打でヒットエンドランを成功させる波留。 自分たちで考え、お互いにアイコンタクトで意志を伝えているというようなコメントがあった。 優勝した98年は言うまでもないが、翌99年も連打で相手を追い込んでいく打線の破壊力がすさまじく、あのころは見ていて実に楽しかったなぁ(と、ちょっと「遠い目」)。


以後、横浜は再び下位に低迷するようになるのだが、石井はそれなりに安定したパフォーマンスを維持し続ける。 Akichan’s Home Page にある年度別打撃成績を見るとわかるのだが、97年以降は2003年を除いて毎年 「130試合出場、500打席、150安打」以上の成績を残しており、あらためて「コンスタントにプレーし続ける」選手であることを実感した。 2003年に打率 .231 に終わったときは、「さすがに衰えてきたかな」と思い、内川聖一にレギュラーを渡すことになるのではと危惧(なかば期待。移り気なプロ野球ファンの残酷さか)したものだったが、どっこい琢朗はしぶとかった…。


考えてみると、彼のことをすごい素質・才能の持ち主だと思ったことはなかった(その点では、同じ横浜でも佐々木や斎藤(隆)、鈴木尚典や金城、内川とは違う)。 プロ野球選手としては小柄で、強肩(これだけはプロのレベルでも傑出していた)を除けば特別優れた要素は見あたらない(素人の見方ですが)。 にもかかわらず、一流の実績を積み上げてきたことに驚きと敬意、そして興味を感じる。

石井琢朗の成功の理由を分析してみると、こんな感じだろうか。

  • 弱いチームに入ったことを、最大限に生かした。 野手転向当初、打力不足ではあったがスタメンのチャンスをつかみ、実戦の中で打力を向上させていった。
  • 自分にできることを、きっちりやりきる(言葉にすると簡単だが…)。 打撃センスが特にいいとは見えないが、打ちにくい球はファウルで粘り、「外の球は三遊間方向へ、内側の球は一・二塁間方向へ」という堅実な打撃。 走塁に関しても、「自分は、盗塁王を獲った人たちの中では一番足が遅い部類だと思う」と認識しつつ、若い頃は盗塁成功率にある程度目をつぶってでも積極的にトライしていた。 結果、4度の盗塁王に輝いている。
  • 新しい役割への適応能力の高さ。 野手転向についてもそうだが、2番バッターとしてバントが求められればそれを徹底し、ショートへのコンバート時も短期間で順応した。
  • 選手としてのピークがチームのピークと一致した。 選手として幸運なことだった。
  • レギュラーの座を渡す隙を見せない丈夫さ、したたかさ。 大きなケガがまったくない。


ともあれ、あと1安打。 明日、横浜スタジアムで達成することを期待している。

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2006-05-09

回想・石井琢朗 (1)

石井琢朗の通算2000本安打が目前に迫ってきた。 大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)を応援しはじめた頃すでに現役であり、ここまで奮闘を続けてきた選手。 年齢・体格が近いので、勝手に親近感を持って観てきた。 ちょっと思い出にひたってみる。

【須藤監督時代】
投手時代の印象は、正直言って、ほとんどない。 「月刊ホエールズ」で、はた山ハッチ(やくみつる)が “敗戦処理トリオ” のひとりとして描いていたような気がする程度だ。 最初に彼に注目したのは、野手転向の話が出たとき。 自らコンバートを志願して、それに須藤監督が(最初は)難色を示した、というような記事を読んだときだ。 「(まだ高卒3年目で)一軍でもそこそこ投げているのに、自分からコンバートを申し出るとは」と驚いた。

もっと驚いたのは、翌92年シーズン、三塁手としていきなり一軍でプレーしていたことだ。 「あっさりコンバート成功かぁ…」


【近藤(昭)監督時代】
93年には正三塁手として定着する。 24盗塁を記録し、盗塁王のタイトルを獲得。 ゴールデングラブ賞も獲る。 この年の10月、横浜スタジアムで観戦(ジャイアンツの桑田と野村弘樹の投げ合いだった)していて、彼の守備に強い印象を受けた。ボールへのすばやい反応もさることながら、スローイングが絶品。 一塁へと糸を引くような球筋で伸びていく送球に見とれた。 ランナー1塁でファールフライを捕ったときも、(まずタッチアップなんてないけれど)念のために2塁に投げるボールがまた必要以上に速く正確で 「なるほど、この肩があるかぎり、一軍でプレーし続けられるなぁ」と思ったものだ。

ちなみに当時は、打者としては「これでもうちょっと打力があればなあ」という印象だった。 内野ゴロやポップフライが多く、なかなか外野まで良い打球が飛ばないというイメージ。 だから日本のプロ野球ではあまりない「2番サード」という打順だった。 横浜に強打の三塁手がいたら、レギュラーの座は難しかったかもしれない。 バントは下手ではなかったので、近藤監督の堅実な(≒せこせこした)戦術眼にしたがって、ランナーが出るといつも送りバントをやっていたような気がする。 あの頃は、琢朗がやがて2000本安打を達成するなんて夢にも思わなかった(し、チームも実に弱かったので20世紀中に横浜が優勝するともとても思えなかった)。


【大矢監督時代】
打者として、徐々にしぶとさと確実性を高めていった時期。
いろいろな面で98年の優勝の土台作りをした大矢監督だが、そのひとつが石井のショートへのコンバートだった。
95年までの横浜は、
 三塁:石井 ショート:進藤 二塁:ローズ 一塁:駒田
で、なかなか安定感のある内野陣だったのだが、大矢監督は96年春のキャンプで、
 三塁:ローズ ショート:石井 二塁:進藤 一塁:駒田
という(ちょっと珍しい)三角コンバートを敢行する。
結果的にはローズは二塁に戻り、
 三塁:進藤 ショート:石井 二塁:ローズ 一塁:駒田
という進藤と石井が入れ替わった形で、その後の数年間(=横浜の最も良かった時代)を戦うことになった。

進藤もすぐれた内野手で、柔らかみのある巧さという観点では石井よりも “ショートストップらしい” プレーぶりだったように思う(肩の強さでは石井が上か)。 だが、大矢監督は「ときどき故障で戦列を離れたりスランプに陥る進藤よりも、コンスタントにプレーし続ける石井を内野の核に据えたい」という考えから石井をショートに置きたかったらしい。 結果的に、このコンバートが琢朗を「横浜の中心選手」としてより高いステージに押し上げたと見ることもできそうだ。 一方、守備にこだわりをもつ進藤にとって、サードは少し物足りない思いもあったようで、2001年のオリックスへの移籍の原因のひとつとなっていた。

(ちなみに、進藤・石井はともにドラフト外で大洋に入団している。長きにわたってドラフト外コンビで三遊間を形成したチームも他にないかもしれない)


…長くなったので、ここでひとやすみ。

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2005-12-16

仰木さんが亡くなった

近鉄バファローズの、オリックスブルーウェーブの、オリックスバファローズの仰木さんが。

惜別の記事関西アホボケ野球連盟)へリンク。

※おっと、現役時代は「西鉄ライオンズ・黄金時代の」仰木さんだった。
  (私が生まれるずっと前だけど)

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2005-09-15

彼女はミックスダブルスの女王

今年、地上波では見られなかったテニスのUS Open。WOWOWがノンスクランブルでやってくれる『全米ナビ』で楽しむしかなかったのだが、この大会でちょっと珍しい記録をつくったのが彼女。

ダニエラ・ハンチュコワ (Daniela Hantuchova)

今大会、マヘシュ・ブパシ選手(インド)と組んだミックスダブルスで優勝。これで四大大会すべてをミックスダブルスで制したことになる。

 2001年 ウィンブルドン (with レオス・フリードル)
 2002年 全豪 (with ウェイン・ウルエット)
 2005年 全仏 (with ファブリス・サントロ)
 2005年 全米 (with マヘシュ・ブパシ)

ハンチュコワの場合、さらに「ホップマン杯」(男女一人ずつのチームでの国別対抗戦。男女それぞれのシングルスとミックスダブルスで勝敗を決める)でも今年(ドミニク・フルバティと組んで)優勝しているのだ。テニス界きっての美人(というよりキュートかな)プレイヤーとして知られるだけに、パートナーのモチベーションも上がるのか??

まぁ、プロテニスの世界ではあくまでシングルスが中心で、その次がダブルス、おまけでミックスダブルスという位置づけだから、そんなに注目される記録というわけではないけれど。彼女自身、優勝後の会見で「(四大大会制覇について)本当に特別なこと」と言いつつも「これでシングルスのキャリアに集中できるわ」と語った模様。2002年にいきなりトップ10に入る活躍を見せたもののその後は上位の壁を破れないでいる彼女だが、今後はシングルスでも活躍を見たい。

ちなみにブパシ選手もダブルス(特に日本人にとってはミックスダブルス)プレイヤーとして有名。1997年の全仏オープンで、平木理化さんと組んで優勝。1999年には杉山愛さんとのペアで全米オープンを制している。男子ダブルスでも、同じインドの英雄レアンダー・パエスとのペアで三度グランドスラム大会(全仏2回、ウィンブルドン)で優勝するなど経験豊かなダブルスプレーヤーだ(ダブルスで世界ランク1位になったことも)。ミックスダブルスでもこれまで5回グランドスラム大会を制しているのだが、男子ダブルス、ミックスダブルスともに全豪だけはまだタイトルを獲っていないということで、すでにその目はオーストラリアに向けられているとのこと。


※ それにしてもフェデラーは強い。同世代のアガシに肩入れしたくなったが、フェデラーが相手ではなぁ。

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2005-05-27

リバプール、デュデクの踊りで21年ぶりの欧州制覇

UEFAチャンピオンズリーグ決勝、ACミラン - リバプール。場所はトルコ・イスタンブール。アタテュルク・オリンピック・スタジアム。

んー、語り継がれそうな派手な試合。内容的には好試合と手放しでは言えないかもしれないけれど。録画しておいたものを、結果を知らないまま見た。

試合開始直後にACミランがあっさり得点。前半は完全にミランのペースで、クレスポが2点を追加し、3-0で折り返す。この時点で試合への興味を失いかけたが、スティーヴン・ジェラードの奮闘がリバプールにエネルギーを与えたか、あれよあれよという間に3-3の同点になってしまった。そのまま延長に突入。疲労の見えるリバプールの選手たちは守備的な戦い方を選択し、ミランのたたみかけるような攻撃をなんとかしのぎきる。PK戦へ。

ここでリバプールのゴールキーパー・デュデク(Jurek Dudek ポーランド人)が思いもよらない動きを見せた。キッカーが蹴る前に、激しく左右に往復運動したり、体をくねらせたりしてキッカーを幻惑。PK戦であれほど動きまくるGKは見た記憶がない。しかもそれでシェフチェンコをふくむ二人を止め、一人に外させてチームをタイトルに導いたのだから、スゴイというしかない。

きっとこの試合を見た世界中のちびっこGKたちが(おじさんGKも?)、あの動きのマネをしてるんだろうな。でもあれをやりつつボールを止めるには、並はずれた反射神経が必要だよ。確実にウケは取れるけど。

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