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2006-01-10

知らないひとの意見にアクセスできるということ

ネットがあることで、「どこにいるかも知らない、どういう立場なのかも知らないひとの意見が読めるなあ」という、今では当たり前と言えば当たり前の話。

年末年始、田舎に帰っていたときはあまりネットにアクセスしなかった。いちおうノートパソコンは持って帰っていたが、PHS経由での接続になるので、メールをチェックする程度だった。いきおい、(身のまわり以外の)情報へのアクセス源は、テレビや新聞がほとんどとなる。そこにかすかな違和感を感じている自分がいた。

ふだんは、ネットにアクセスするのにADSL回線を使っている。自宅にいる(起きている)時間の半分くらいはPCを起動しているので、何かが気になったり調べたくなったりしたとき、すぐにネットを使うのが「当たり前の行動」になってしまっているわけだ。それは公的なサービス(地図情報、乗換情報、自治体の図書館の検索サービスなど)を利用する場合もあれば、個人のページを見る場合もある。たとえば、昨今の皇位継承に関するニュースを見て 天皇 男系 源氏物語 とググってみたり。

すでに「報道機関を補完するメディアとして個人Webページ(ブログもふくむ)を使う」習性がついてしまっているんだな、と思った正月だった。

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